曹洞宗とは SOTOZEN
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概要・歴史
今から800年ほど前の鎌倉時代に「道元禅師(どうげんぜんじ)」が正伝の仏法を中国から日本に伝え、「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」が全国に広められ、「曹洞宗」の礎を築かれました。このお二方を両祖と申し上げ、ご本尊「お釈迦様(釈迦牟尼仏)」とともに、「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」として仰ぎます。
道元禅師の精神は、その跡を継いだ永平寺二世の孤雲懐弉(こうんえじょう)禅師、永平寺三世で加賀(石川県)の大乗寺(だいじょうじ)開かれた徹通義介(てっつうぎかい)禅師を経て、その弟子瑩山禅師に受け継がれました。そして瑩山禅師のもとには、のちに能登(石川県)の永光寺(ようこうじ)を継いだ明峰素哲(めいほうそてつ)禅師、總持寺を継いだ峨山韶碩(がざんじょうせき)禅師が出られ、その門下にも多くの優れた人材が輩出され、日本各地に曹洞禅が広まっていったのです。
こうしてわが宗門は、今日全国に約1万5千の寺院と、800万の檀信徒を擁する大宗団に発展し、未来に向けてさらに前進しようとしています。 -
宗旨
お釈迦様より歴代の祖師(そし)方によって相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」をよりどころとする宗派です。それは坐禅の教えをよりどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心の安らぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは座ること、「臥」とは寝ることで、生活すべてを指します)の生活に安住し、お互いに安らかで穏やかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見出していこうというのです。 -
教義
私たちが人間として生を得るということは、仏様と同じ心「仏心(ぶっしん)」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分の命を大切にするだけでなく、ほかの人々や物の命も大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずにわがまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。
お釈迦様、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活のなかの行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身と心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。
日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。 -
両大本山
大本山永平寺は1244年、道元禅師が45歳のとき、波多野義重(はたの よししげ)公の願いによって、越前(福井県)に大仏寺(だいぶつじ)を建立し、2年後に吉祥山永平寺と改められたことに始まります。
深山幽谷の地にたたずむ山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、僧堂(そうどう)、庫院(くいん)、浴室(よくしつ)、東司(とうす)の七堂伽藍(しちどうがらん)では、修行僧が道元禅師により定められた厳しい作法に従って禅の修行を営んでいます。
大本山總持寺は1321年、瑩山禅師が58歳のとき、能登(石川県)の諸嶽寺(もろおかでら)を定賢律師(じょうけんりっし)より譲られ、これを禅院に改めて諸嶽山(しょがくさん)總持寺と名付けたことに始まります。
1898年に七堂伽藍を焼失し、1911年に能登から横浜市鶴見へ移りました。なお、旧地は總持寺祖院(そいん)として再建され、地域の信仰を集めて今日にいたっています。